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ウラジミール・ソローキン『ブロの道』: 氷が肉に食い込み、骨を砕く時、心臓(こころ)が目覚める

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)


ロシアが誇る変態小説家ウラジミール・ソローキンの著作の中でも評価の高い『氷三部作』の第一作(執筆されたのは二番目)。『青い脂』のようなアヴァンギャルド的エロさとグロさを除外したら、手に負えない狂気性だけが残ってしまった、そんな怪作。


アレクサンドル・スネリギョフは製糖工場を営む裕福な家に生まれるが、十月革命により家族を失い、天涯孤独の身となる。彼は"何か"に呼び寄せられるように土地を転々とした後、鉱山学者レオニード・クリーク率いる隕石探検隊に参加する。広大なシベリアのタイガを抜け、隕石落下地点のポドカメンナヤ・ツングースカ川に近づくにつれ、彼を呼び寄せる"何か"への思いが強くなる。隕石が落下した沼近くのキャンプ地で、アレクサンドルは自分を呼び寄せる"何か"の正体を理解する。彼は探検隊から離脱し、自分を呼び寄せる"何か"である"氷"を発見し、接触し、覚醒する。"氷"から宇宙の真理を知り、自分自身が"ブロ"という存在であることを知る。ブロは自分と同じく覚醒を待つ2万3千の兄弟(と姉妹)を探す旅へ出る。


ブロには相方の幼女がいる。名はフェルと言う。世界で最初に目覚めたブロとフェルは、兄弟達で唯一、まだ目覚めていない兄弟達を見つけることができる。二人一緒に人間を見ると、人間が覚醒しうる心臓(こころ)を持っているかかどうかが見える。覚醒しうる心臓(こころ)を持った兄弟だった場合、彼・彼女をどうにか身動きできない状態に縛り上げ、胸、つまり心臓(こころ)を纏う肉を露わにし、ここに氷の塊を叩き込む。氷は肉に食い込み、骨を砕く。二人が叫ぶ。「心臓(こころ)で語れ!心臓(こころ)で語れ!」。そして、兄弟が覚醒する。


このような奇行を繰り返しながら、兄弟達は段々と数を増やし、組織化していく。ヨーロッパ中で数を増やし、まだ目覚めていない兄弟達をシステマティックに探し始める。


物語を牽引するプロットは単純だが、語られている内容は極めて実験的だ。


物語の設定によれば、兄弟たちは宇宙を創った原初の光である。この光が地球とそこに住む生物を創り出した。この星で生まれた人間という生物が、殺戮ばかりを繰り返し、地球の調和を乱すごろつきだった。調和の世界から隕石としてやってきた氷は言う、地球で眠る2万3千の兄弟たちを呼び起こし、地球をビッグバンからやり直そう、と。


兄弟たちにとって人間とは、地球の調和を乱す物質に過ぎない。人間とは"肉機械"であり、地球に存在するあらゆる物質、例えば鉄や木や虫や石油、とさして変わらない取るに足らないものだ。


物語はブロの一人称で語られるが、ブロが光の存在として自覚を深めれば深めるほど、"肉機械ども"に対する関心は希薄になる。"肉機械ども"が作った戦争の道具は"殺戮機械"、銃は筒状の"鉄機械"、爆弾は"鉄卵"。


生(人間)を肯定する物語というのは枚挙に暇がないが、生(人間)を否定する物語というのは珍しいし、倫理的にも極めて危うい。


生(人間)とは本当に大切なものか。権力を争い、他人を出し抜き、他の生物を殺戮する生(人間)など本当に尊いものなのか。兄弟たちにとって、スターリンドストエフスキーボリシェヴィキの高官も自分の(元)家族もヒトラーもユダヤ人も、同じ"肉機械"でしかない。地球に不調和をもたらす、違和の存在でしかない。


一方ソローキンは、兄弟たちを通して肯定的な生も描く。


兄弟たちは紙に書かれた文字や、口から発せられる言葉を重視しない。大切なのは心臓(こころ)でみて、心臓(こころ)で理解すること。触れること。感情を表に出すこと。


兄弟は、覚醒してしばらくたつと、号泣する。涙で心臓(こころ)を浄化する。それが、心臓(こころ)が完全に目覚めるきっかけになる。


ソローキンは『ブロの道』を"救済の物語"と称しているが、そこに示されているのは、物語の設定の奇抜さと比べれば、びっくりするくらい素朴な世界観だ。


物語の終盤、ブロは段々と固有名詞を失っていく。世界に対する認識が単純になっていく。残るのは、暖炉の暖かさ、そよ風の心地よさ、果物のみずみずしさといった感覚と、兄弟たちに対する包み込むような感情だけだ。


原初の光として目覚めるブロの大叙事詩として、読んでいると不思議なトリップ感に襲われる。荒唐無稽な話だし、"肉機械ども"を次々と"処分"していく兄弟たちに、爪の先程も共感という感情は湧かない。けれどソローキンは、生(人間)の否定的な面も肯定的な面も、ミキサーでドロドロにして混ぜ合わせ、それを圧倒な腕でフルコースに仕立ててくれるので、"肉機械"の読者はというと、出される極上の料理を次から次へと胃袋に放り込んでいくしかない。


この荒唐無稽の大叙事詩を一言でどんな話かと聞かれれば、『ウルトラマン』と『ワンピース』と『ツァラトゥストラはこう語った』をロシア人の変態性で割った物語といったところか。


でも、所詮"肉機械"たる我々は、この素晴らしい作品を前にして、考えてはいけない。


大切なのは心臓(こころ)で見て、心臓(こころ)で理解すること。


野暮な奴にはこう言ってやれ!


心臓(こころ)で語れ!心臓(こころ)で語れ!